みなさん、こんにちは。熊谷優一です。
このHeroesというシリーズでは様々なフィールで活躍するオトナを紹介しています。これまで、ベトナムでレストランを経営する白井尋さん、京象嵌の若手職人の中嶋龍司さん、漢字文学者の故・白川静さん、日本文学者のドナルド・キーンさん、筑波大学大学院教育研究科客員教授のキャロル・犬飼・ディクソン先生、中国茶研究家の王静先生、そして94歳になった今も活躍している女優アンジェラ・ランズベリーさん、東京03の飯塚悟志さんを紹介してきました。
今回はですね、私が憧れてやまない三屋裕子さんを紹介します。サッチャー元英国首相、ダイアナ・ロス、そして私が生きる理由といっても過言ではない女優アンジェラ・ランズベリーなど会いたいと思う人には会えた私ですが、こんなに思い続けているのにまだ会えていないのが三屋さんなんです。
あこがれの人
以前、夢のあとさきで、私が三屋裕子さんにどれくらい憧れているかということを書いたことがあります。私が前任校、筑波大学附属坂戸高校で働きたいと思ったのも、彼女が筑波大学と関わりが深いことを知っていたので、もしかして会えるのではないかという期待もあったからです。
三屋裕子さんは元全日本女子バレーボール選手で、ロサンゼルスオリンピック(1984年)で銅メダルを獲得しました。そんな三屋裕子さんに私が彼女に落ちたのは小学校一年生のときでした。ちょうど日本でワールドカップ(1981年)が開催されていたんですね。その時のプレーがまた美しかった。それで一気にファンになり、将来バレーボールでオリンピックに出て、三屋裕子さんと一緒に入場行進することが夢になりました。
その夢はロス五輪後すぐに三屋さんが引退したことで潰えましたが、それ以後も引退したアスリートとして三屋さんがどのようにキャリアを築くのかずっと注目していました。大学院で勉強し直したり、女性向け下着メーカーの社長になったり、Jリーグの理事を務めたり、最近では日本バスケットボール協会会長をされていますよね。
チャレンジキャリア
三屋さんのキャリアはチャレンジに満ちていているように思います。女性向け下着メーカーの社長になるも株主総会で解任されたこともありました。その時の会見で三屋さんはモスクワオリンピックにボイコットが決まったときと同じような気持ちと話していたのが印象的でした。
この間、「追跡LIVE!SPORTSウォッチャー」と番組で三屋裕子さんが特集されているのを偶然見ました。相変わらずお美しい。身を乗り出してテレビを食い入るように見ていたら、三屋さんがこう言ったんですね。
「目を塞いで、耳を塞いで、口を塞いでいれば、何も悪いことは起こらない。しかし私たちはそれで本当にいいのかということを問わなければならない」
コロナ禍にあり、様々なイベントが中止される中、無観客でのイベントを決断した日本バスケットボール協会の会長として去来する様々な思いが番組では丁寧に描かれていました。
未来志向のマインドセット
三屋裕子さんはもともとバレーボール選手です。Jリーグの理事をやるときも、バスケット協会の会長をやるときも、経験していない分野で指揮を取る側に立つことは相当な抵抗もあったと思いますし、本当にやれるのかと信頼を得ることにおいても非常に難しい状況にあったと思います。
しかし私は思うのです。「やったことがないからできない・わからない」というのは本当なんだろうかと。そう言ってしまったら、個人や組織や社会に成長はあるのだろうかと。むしろ、やったことがないことの中にできうることを探す態度こそ成長を促すのではないだろうかと。彼女が様々な業界でキャリアを築いてこれたことから私はそんなことを考えました。
異業種・異分野といわれることの中にも、共通する考え方やアプローチの仕方、方法論があります。異なりの中にこれまでに学習したり、経験したりした知識・スキルから応用可能な概念を見つける目を持ち、新しく直面する課題にも果敢に挑戦していくことで想像していなかった未来が描かれるかもしれませんよね。
最後に
何年か前に三屋さんは日本代表選手の不祥事があり、選手たちと謝罪会見に臨みました。様々な見方はあるにせよ、協会会長として選手たちに自分の行動に責任を負わせつつも、選手生命が絶たれないようにという反省と復帰の道を示したのはアスリート出身だからこそ、選手たちのキャリア形成への配慮だったように思いました。
みなさんは、今後のキャリアをどのように描いていますか?長い長い人生をよりよく生きていくには、大学の4年間で得る知識とスキルは十分に担保してはくれないと私は感じています。学び続けること、学び直すことが、生涯に渡って必要になっていくことでしょう。
自分が限界だと思っていることにオープンでいれば、もしかしたその限界のもっともっと先に自分の限界があるかもしれません。