「ナレッジキャラバン in 大阪 2019 夏」レポート by 阿部富子

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みなさん、お久しぶりです。宮城県志津川高等学校・養護教諭の阿部富子です。

夏休み中の8月25日に行われた「ナレッジキャラバンin大阪 2019 夏」で事例発表をする機会を与えて頂き、多くの素敵な出会いも体感することができました。あの空間にいれたことに感謝しかありません。

思い起こせば、6月半ばにクマユウから、大阪来てくれませんかコールがあり。そのときは、正直、何も持ち合わせていない自分ですから不安だらけでした。が、しかし、23年間も思い抱き続けていた彼の夢の実現に協力できませんという選択肢はありませんでした。

内諾してからのやりとりでは、このブログに登場するクマユウの生徒さんたちのキモチに同感の連続!まさに赤鬼!「やんたくせ~」の連呼でした(笑)。

主体的な対話を通した学びの場としての保健室

当日は「主体的な対話を通した学びの場としての保健室」という内容で、日々の実践を振り返り、参加者お一人お一人の、日常を想像しながらアドリブで伝えさせていただきました。

保健室の中での子どもたちは、実に多くのものを与えてくれます。日常の中で人と人が関わり波紋を起こし合い、影響しあう。対話の中から異なりや困難とのぶつかりが起き、チノメザメがウマレル。その時々に生徒に寄り添い、撥ね除け、ぶつかり、包み込み、ひたすら信じて待つ。お互いに気づき・気づかせ合える関係の原点にとても近いトコロに養護教諭は立たせてもらっています。

そんなとき、意識して、目に観えるものを感じながらも、目に観えないナニを感じたかを重ねて多様に表現し、生徒にフィードバックをしながら気持ちにズレなく寄り添い、本人も気づけていない魅力や可能性を一緒に考え続ける。まだまだ未熟だけれどもひたすら個々が潜在的にすでに持ち合わせている可能性を信じて、こちらも真剣に誠意を持って問いを考え、何度も何度も修正をかけ、探索し交渉しながら、前に一歩踏み出すイメージを描かせるって感じで時間を共有しています。

話せるー聞くの双方向の対話

学校教育において、「主役」である生徒一人一人にとって、安心・安全の空間の創出と心地よい関係性の上に成り立って、初めて、「話せる・聴く」の双方向の対話のスタート地点に並列に立つ事。目の前の生徒に「興味・関心」を持ち、養護教諭の特権である「手当て」を通して、人のぬくもりや・暖かさを感じてもらいつつ、対話を続け、深めていくこと。時には、視覚をさえぎり、耳から、心温まる詩の朗読を聴き、想像力を豊かにし、まず、自分自身を愛おしみ、周りを慈しむこと。

多様な仕掛けを駆使しながら、昭和・平成・令和と引き続き、毎日、毎日、生徒と共に育ち合ってきた日常を切り取り、エピソードをまじえながら伝えさせていただきました。教室後方の掲示板に貼られていた大阪女学院の生徒さんたちの作品を正面に見つつ、参加してくださった皆様のお顔の表情を拝見させてもらいながら緊張もありつつ、大変心地よい時間をすごさせていただきました。

学校教育のゴール・保健室の役目

全体会では、「どう学ぶかは様々だけれども、すべての子どもたちが幸せに生きていける様にという大人の願い・思いは一つである」というシンプルなゴールを、より強く感じ再確認することができました。

今回、改めて発表に向け、これまでのことを振り返った時、クマユウから何度となく言われ続けてきたことを思い出しました。クマユウは保健室についていつもこんな風に言っています。

「子どもたちが自分一人では向き合えない自分自身と、その時、すぐそばに居る養護教諭から繰り返される問いかけを通じて自らを振り返り、本来の課題を見つけ、解決の緒を探る。保健室は対話を通した主体的な学びの場そのものだ」

自分自身も、おかげさまで、このことを、より深く気づかせていただきました。クマユウが筑波大附属坂戸高校勤務時代に書いた「東日本大震災と学校教育」というレポートにはこんな一節がありました。

日本の教育界が抱える問題も多いが、東日本大震災時に避難所生活を送るにあたり、学校で培われた有形無形のスキームが様々な世代が共存する空間で、他者を気遣い思いやりながら生活できたことに、これまでの日本の教育が果たした役割は大きい。今この時代だからこそ、いずれどこかで発生する予期せぬ規模の災害に備える日本の教育が持つ強みを世界に発信することにより、日本の教育をグローバル化すること。

あの日・あれからを振り返りつつ、カワラナイモノを大事にしながら、一歩一歩確実に前に進んで行きたいと願ってやみません。

最後に

初めてプライベートで、大阪入りしました。私の中では、大阪と言ったら、大阪万博のシンボル・太陽の塔。からの岡本太郎。帰宅後、14年ぶりに「強く生きる」を読み返しました。

その中に「ほんとうの調和というのは、お互いに意見をぶっつけ、フェアにぶつかり合うこと」「ぼくはこうしなさいとか、こうすべきだなんて言うつもりもない。ぼくだったらこうすると言うだけだ。それに共感する人・反発する人、それはご自由にだ」

あの頃の解釈に増して、さまざまな広がりと深まりを感じ、その夜は夢の中で岡本太郎と対話しました(笑)。

クマユウへ

あんなに暑かった夏が、嘘のように朝夕めっきり涼しくなりました。秋風のことを、「色無き風」とも言うそうです。中国の五行説によると、秋の色は白色。日本人は、その白を「色無き」と言い換えました。本来は、はなやかさが無いという意味で、しみ渡るような寂寥感をいったものだそうですがそんな、解釈ばかりじゃないですよね。秋の色は何色なんだろうってとこからですけどね。

あれから、もうひと月近くたとうとしているのですね。あっちこっち飛び回って、疲れを起こしていませんか。あなたはすぐ風邪を引いて熱を出したり、腹痛を起こしたりしますし、もともとネクラですからね。くれぐれも休み、休みやりなさいよ。

ちょっとお灸を据えつつ、最後までお読みいただきありがとうございました。これからもクマユウをよろしくお願いします。

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