犬は吠えるがキャラバンは進む:時は私たちに同じく流れているのか vol.1

みなさん、こんにちは。熊谷優一です。今回は久しぶりに、「犬は吠えるがキャラバンは進む」シリーズの新作を書いてみようと思います。

これまでこのシリーズは愛してやまない私の前任校、筑波大学附属坂戸高校の生徒たちとの議論を中心に書いてきました。が、今回はちょっとメンツを変えて、現在の私の生徒たち、これからIBを始めようとする高校1年生たちとの議論を取り上げてみたいと思います。

学習のマインドセット

私が現在IBコーディネーターをしている学校では、英語と日本語による国際バカロレア・ディプロマプログラム(DP)受講希望する高校1年生に対し、半年に渡って昼休みや放課後にPre IB Sessionと称した特訓を週1回のペースで行っています。目的はディプロマプログラムでよりよく学ぶためにマインドセットを養うためです。

そのマインドセットには、事前課題をこなすこと、課題を期日までに提出することなど学習に向かう態度はもちろん、英語と日本語で、相当量の資料を読み、相当量の議論を行い、相当量のエッセイを書くというアカデミックスキルも含まれます。

10月から週一回行っているのですが、12月に生徒たちが身に付けなければいけないことが見えてきました。有機的に情報を理解することです。まずもって読書習慣が確立されていませんでしたし、読んだ内容を何の疑問もなく、単純な情報としてしか解釈することができませんでした。このことを変えなければいけないと冬休みに1冊課題図書を指定し、年明けにその本について議論することにしました。

時は私たちに同じく流れているのか

課題図書は「時間はどこから来て、なぜ流れるのか? 最新物理学が解く時空・宇宙・意識の「謎」」を指定しました。


ディプロマプログラムは大学準備過程と位置づけられていますから、プログラムが始まったらかなりの量の学術書や論文を読むことになります。その練習を兼ねて、読書会への参加を呼びかけた先生方が物理と歴史の専門家だったので、言語の私と3人に共通するものとして「時間」をテーマにすることにし、物理の先生にこの本を薦めてもらいました。

ちょうどその頃、私はルネ・デュボスを20年ぶりに読み直し、チャールズ・サイフェに差し掛かったあたりで、自然科学ブームが起きていました。物理学の分野の本はあまり手を出さないのですが、これを気にしっかり読んで見ようと思いました。

道後温泉から熊谷がLINEで送ってきた写真と報告を見て、彼らしいなとちょっと笑ってしまいました。
昨年出題された 知の理論のエッセイのお題の1つが今回のエントリーをナビゲーションします。

この本を読んで他の2人の先生はそれぞれの視点からどんな問いを投げかけるだろうか、自分はどんな疑問をこの本とそして彼らと、または生徒たちと繰り広げるだろうか、そしてこの読書会が私の知識にどんな広がりを見せてくれるだろうかとワクワクしていました。

戸惑う生徒たち

年が明けて、読書会をどのように進めていこうかと先生たちと話し合いをしようと何度も試みたのですが、この本に関しての疑問や意見が止まらないのですよ。顔を見たら議論を始める私たちは、職員室で明らかに浮いていました(笑)。でも、止まらないのですよ。

物理の先生はビックバンを例に出して時間を語り出します。歴史の先生は歴史上の出来事は現在の関わりという視点でみるため、時間を連続性という言葉で捉えているようでした。私はというと、言語は時間をどう捉えているのかについて気になりだします。英語では時を直線的に捉えていて、だから過去・現在・未来、そしてその時々の進行形やその時点までの完了形があるけれども、日本語は過去・非過去という区別しかいない。輪廻転生、生老病死、春夏秋冬など螺旋で時を捉えているのかもしれない。

読書会が始まる時点では私たち3人は相当温まっていましたが、生徒たちはこの本をもとに議論をするって言ったってどうやるんだ、どこをやるんだ、どんな問いに答えればいいのか、随分と戸惑った様子でした。自分たちの自由に議論をしていいって信じていないようでした。

中休み

私が中学生の頃とは読書指導そのものが変わったのでしょうかね。私たちの世代は公立の中学校でも大人が読んでいる本を読めと言われたものです。全く理解はできなかったけれども、「思考と行動における言語」とか、大人が読んでいて、難しそうな本をよく読みました。


何度も何度も読んでいるうちに、色んな本に手を出しているうちに、結局こういう本たちが自分の興味関心が何であるのかを特定してくれたように思います。

本が最大の娯楽だった時代ではもうなくなってしまったのでしょうか。子どもたちはあまり本を読まなくなりました。そして本を読むことの意味や価値を教えてくれる大人も少なくなったように思います。本を読むことは知識と会話することであり、知識を生み出した人と時空を超えて会話することである、その時々の自分自身と会話することに繋がります。学びの過程はすべてセラピーであると私が主張する中で、読書は最も簡単な手法だと思います。

そんな経験をしてほしいなと思ってこの読書会を実施しました。次回はその模様をお伝えしますね。今日も読んでいただきありがとうございました。