[Heroes] レストランオーナー 白井尋さん

みなさん、あけましておめでとうございます。

2017年は筑坂のIBプログラムを広報するため、ジェットセッターを気取って(ウソ)、国内外を旅して回りました。(気分的にはテープを手売りする演歌歌手といったところです……)

毎度毎度初めてお会いする人たちと関係性を築きながら、IBを売り込むので、生来ネクラでインドア志向が強い私は時々しんどくなります。でも、そのしんどさも忘れ、人見知りの私をもってしても、この人ともっと話したいという人物がどの国にも必ずいました。

今日は、その中でも、教育者として私自身の軸を再確認することになったベトナムはサイゴンでレストランを営む白井尋さんとの出会いについて書きたいと思っています。

大切なことはいつもベトナムが教えてくれた

私が初めてベトナムを訪れたのは教員になりたての1997年12月。今から20年前になります。「お前向きの国だ。絶対に行け!」とベトナムを旅行した大学時代の友達から突然電話がかかってきて、それを真に受けて何の気なしにベトナムに行ったのがきっかけでした。

当時ベトナムはまだ開国したばかりで、とても貧しく、そこかしこにストリートチルドレンや物乞いがいました。でも、これからの国っていう熱気は街中に溢れていました。今思えば、若さゆえだったと思いますが、現地の人たちとも簡単に親しくなりました。英語で話をしたいという人たちも多くて、どこの馬の骨とも知らない私を随分面倒見てくれ、彼らから聞いた話の中で私の人生訓になったものがあります。

それは「人生六割」という考え方です。100%自分の思い通りには決していかない。八割は欲張りすぎ。でも50%だと引き分け。だから六割。相手にもある程度勝たせる。でも一割自分の方に寄せていく。それは絶対に死守する。六割を続けていけばやがて100%を超えるだろうと。大国を相手に勝利を勝ち取った彼らから聞く話には妙に説得力がありました。

以来、かれこれベトナムには15回以上行っています。見聞き体験したことを初任校では演劇部を作ってミュージカルにしたこともありました。楽器も音符も読み書きできない私でも曲を作れたんだから、「ベトナムの力、恐るべし!」と思ったものです。

ネクラにはあるまじき行動力

私が世界で一番好きなレストランがサイゴン(ホーチミンシティ)の中心地にあります。「フーンライ」というお店で、白井尋さんという日本の方が経営されています。味も雰囲気も本当にいいんですよ。「いい」って言葉がぴったりくるレストランで。味がいい、居心地がいい、雰囲気がいい、サービスがいい。何だろう、この温かい気持ちはってなる不思議なお店です。私は滞在中必ず2回行くって決めています。

働いているのは貧困家庭の子供たちや、元ストリートチルドレン、施設で育った子供達です。そういうところも応援したくなるスパイスであるのですが、どうしてこのような店を開き、そして何年にも渡って成功しているのか、15年くらい前にオーナーの白井さんへのインタビュー記事を新聞で読んで以来、ずっと会って話を聞きたいと思っていました。

それが、今回ようやく叶ったのです。ホーチミン日本人学校で説明会を開いた帰りに、アテンドしてくれた筑波大の現地ベトナム人スタッフへのお礼を兼ねて、フーンライで昼食を取っていた時のことです。白井さんがお店に入ってくるではないですか!私は食事の途中に関わらず、白井さんに会いたかった。時間があれば話させてくれと詰め寄りました。

機会を逃してなるものか!お前、本当にネクラかと疑われるような行動ですよね。白井さんは教育に興味があるとおっしゃって、忙しい中にもかかわらず、快く時間をつくっていただきました。

レストランでやりたいことは教育なんです

白井さんとは後日、お店近くのもの凄くクーラーのきいた「おされカフェ」で4時間も話し込みました。その中で最も印象に残っているのがこの一言です。

「このレストランでやりたいことは教育なんです」

貧困の連鎖を止めることを白井さんはやりたいんだと言いました。ストリートチルドレンや施設で育った子供たちが「フーンライ」で接客や調理、サービスを学ぶことによって、外国人相手のレストランやカフェなど、ベトナムでは比較的給料のいいところで働けるようする。そしていずれ家族を持ち、子供に教育を受けさせることができる。そして貧困から抜け出すことができると。

だから、ベトナム国内の取材には応じないことにしているとも話していました。私はそのことが気にかかったので、それはなぜかと聞きました。白井さんはこのように話し、このブログに対する批判で揺らいでいた私の心の雲を晴らしてくれました。

ベトナム人がたくさん来るレストランでは子供たちはより多くのことを学ぶことはできない。外国人がたくさん来るレストランで彼らは、最低でも英語で接客することになるから、語学力を身につけることができる。努力する子供は日本人のお客さんには日本語で接したいと思うようになり、日本語を勉強し、それを接客で実践しながら知識・スキルとして確かなものにしていく。やがて日本人には日本人の、アメリカ人にはアメリカ人の、好む接客のスタイルがあることを感じ取っていくだろう。実体験を体系化することによって子供たちはどこでも働くことができる能力を身につけることができる。

もちろん、お客さんにベトナム人が少ないことを批判されることも多い。しかし、ここは教育機関。子どもたちに学ぶ場を提供して、社会に出ていってほしい一心でレストランを経営している。批判に動じるつもりはない。

最後に

白井さんとの対話は私に教育者としての原点を見つめ直す直接的なきっかけを与えてくれました。

学びに優劣はありません。学ぶことそのことは、どれも平等に尊い。このブログでも様々な環境の学習者を紹介してきましたが、そういう意味において、私が目指すべきところはIB教育の普及ではないことを再認識しました。

私がこのブログを通して、一教育者として伝えたい思いはただ一つ。「子供たちにひとつでも多くの学習機会を提供しよう」ということです。エリート教育は、それはそれで正しい。夜間高校における教育は、それはそれで意味がある。いろんな学び方があって、その一々に間違いはありません。

IBもその一つ。日本におけるIB教育はこれまでインターナショナルスクールで行われてきた文脈でない展開が期待されています。富裕層ではない家庭の子供たちもこの学び方を選択できるという点で世界中から注目を集めています。ネイティブと同様の英語力を持っていなくても、IBにチャレンジできる。そんなことがどんどん可能になっていくんです。知っていれば選択することができる。

暑苦しいことを述べますが、我々大人は経済格差や地域格差が教育格差を生まないような仕組みを考えないといけない。どんな環境で生まれ育っても、学びを求める子供たちが自ら生きる道を模索することができる学校と社会を作っていきたい。それが教育者として私のコアであることをもう一度振り返ることができた、そんな出会いでした。