みなさん、はじめまして。稲富爽太と申します。これまでブログ(今からIBをはじめる君へ)に「TOKがわたしを変えた」の浅見君、「TOKで智に挑む」の鹿間君、「TOKで平和にアプローチ」の塩田君、「普通中の普通の僕の将来」の酒井君と同じく2017年3月に筑波大学附属坂戸高校を卒業しました。
English Caravanに参加した卒業生の中で私の出番が最後になったのは、インフルエンザにかかっていたからです。
今回私は高校生活で、どんな風に自分が変わっていったのかを書きたいと思います。
チャンス
私は将来、英語の教員になって、熊谷先生と共に筑坂で働きたいと真面目に思っています。
私が将来に教員になりたいと思うようになったのは、中学生の時の担任であり、部活動の顧問である先生の影響でした。先生は生徒思いで、どんなことに対しても熱く、まさに熱血といった先生でした。私もこんな先生みたいになりたい。よくあることですが、こうして私は教師を目指し始めました。
先生を目指すなら、教えるのは英語だと決めていました。英語は中学生の頃から一番得意な教科でしたし、熊谷先生にお世話になってから、さらに英語に対する関心が上がったことが理由といえます。英語を勉強するのは本当に楽しいです。
でも高校1年生に英検2級を受けた時、私は手痛い挫折を味わいます。前述のとおり私は英語が得意でした。なので、英検2級なんて簡単に取れるだろうと考えていました。しかし結果は1点足らずで不合格でした。
この時は熊谷先生に鬼のように怒られました。「詰めが甘い」と。「英語の先生になりたいなら、覚悟を決めて勉強しろ」と。家に帰って、親にもすごい勢いで怒られました。自分は本当に英語が得意なのかと自信をなくしてしまったこともありました。それから、自分はもっと勉強しなければならないと思い、英検2級取得のために勉強し、次の回の英検で2級を取得することができました。
試験を受けて、結果を待っている間、生きた心地がしませんでした。熊谷先生の目を見れなかったのは言うまでもありません。熊谷先生に、思わず、「今一番会いたくないです」って言いました。
チャレンジ
筑坂では、様々な体験をしました。中学生の頃は、そこまでチャレンジしていこうという気持ちはありませんでしたが、筑坂に入学し、たくさんの機会がそこら中に転がっていることや、先生たちや友だちのおかげ(せい?)で、いろいろなことに挑戦する機会に恵まれました。
その中でも大きなひとつに東日本大震災の被災地ボランティアがあります。私がまだ高校一年生の時でした。熊谷先生の誘いで、宮城県の気仙沼市を訪れました。
震災が起きた瞬間、私は小学校の教室で帰りの会をしている最中でした。今まで体験したことのない大きな揺れに、小学6年生だった私は机の下に隠れ、震えていることしかできませんでした。家に帰るとテレビで津波が町を破壊していく映像が流れていました。家を失っていく人がたくさんいる。自分が同じ状況に置かれていたらと考えると怖くて仕方がない。小学6年生の私は、初めて目の当たりにする光景をただただ画面を通して見ているばかりでした。
それから3年が経過した夏、初めて被災地を訪れることになりました。そこには何もなく、破壊された橋や土を運ぶ重機、仮設住宅があるだけでした。震災から3年も経っているのに、何も復興されていないじゃないか。そう思うほかありませんでした。
チェンジ
しかし、被災者の方々は違いました。ボランティアで伺った人たちは、明るく私たちを迎えてくれました。被災地の光景を見てショックを受けていた自分は、そのギャップに驚きました。自分たちが元気を届けようと意気込んでいたのに、元気をもらったのはむしろ私たちでした。
被災者の方の言葉に一つ忘れられないものがあります。それは、「震災が起きたからこそ今しかできないことをして、今を楽しむ」というものです。きっと最初はどんなに辛い思いをして、悲嘆にくれたことでしょう。でも、どんなにつらいことが起きても、後ろばかりを見るのではなく、「せっかく生きていられるんだから、前を向いて上を向いて進んでいく」その言葉が今も胸に残っています。
気仙沼では、クマユウの高校時代の先生、仮設住宅に住んでいる方、本吉響高校の生徒、浄念寺の住職の方など、多くの方からお話しをいただきました。お話の中で共通していた言葉に、「東日本大震災という出来事を風化させない」というものがありました。
私は被災地に住んではいません。でも、あの震災から学ぶことはたくさんあることを知っています。English Caravanでは、「災害と日本人」を一つのテーマに、災害時に優先されること、日本人は災害をどのように記録してきたか、災害によって人々の暮らしはどう変化したかなど議論してきました。風化させないことは私個人でもできることがあります。
災害はいつどこででも起こる可能性があります。その備えとして、教育はとても重要な役割を果たしています。私は将来、英語の授業でそれを教えられる先生になりたいです。
最後に
この経験を通して私は、何かに飛び込めばたくさんの経験ができ、多くの人と交流できると気づき、どんどんチャレンジしていこうと思うようになりました。しかし、実際は、その後、私はやることなすこと大抵失敗しました。
でも、ひとつ言えることは、何か行動を起こせば、何かが変わるということです。失敗しても成功しても、そのたびに新たなことへ挑戦し、新たな知識持ち、新たな経験をしていきたいという好奇心が沸いていきます。それが積み重なっていくことが自分の成長につながっていくのだと思います。
このような気づきができ、さらに自分のやりたいことにつながるものが見つかる筑坂で、生徒として学んできました。卒業してもなお筑坂でまた学びたいと強く感じます。しかしそれは無理なので、次に筑坂に行く時は教える側に立って、自分の後輩たちが様々なチャレンジができるようサポートをしたいと考えています。
筑坂は今年2月に国際バカロレア(IB:International Baccalaureate)認定校になりました。筑坂のIB担当は、当ブログの主である「赤鬼」こと熊谷先生です。そして私は熊谷先生の生徒で、将来一緒に働きたいと思っています。これが意味することは、想像に容易でしょう。私にはIBについての知識・理解が絶対的に必要なのです。それが次の私のチャレンジです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。赤鬼チェックは怖いですが、また書かせて下さい。