反逆の13月

最終回を迎えておきながら、いつもどおり3日後のリリース……。これはもはや「ヤメヤメ詐欺」と言われても仕方ない。しかも、今回お送りするのは、IBとか21世紀の学びとか、全く関係のないスーパー個性の私の祖母の話です。しかも、史上最強にクダラナイ。しかも下のお話。

私にちゃんとした人というイメージを持っている人は、お願いですからどうか読まないでください。万が一、読んでも私を嫌いにならないことを約束して下さい。言い訳になりますが、意外とこのシリーズにはファンがいて、ブログを閉める前に、もう一回書いてくれという声があったからしぶしぶ書いたことを理解していただければと思います。

では、シリーズ『13月』最新作、始めます。

罵言の星

人を罵り倒すことにかけてはノーベル賞級に才能をもっていた私のばあさんは昭和6年の生まれです。9人兄妹弟の長女として生まれ、小学校も通わず妹弟たちの子守をしていたそうです。18歳で見ず知らずの後の私の祖父さんに嫁ぎます。

島倉千代子の「この世の花」を聞くと、ばあさんが浮かぶんですよね。あの強烈なばあさんにも乙女だった時代があったのではと、その後の苦労(嫁ぎ先では本当に苦労したそうなんですよ)を慮って、あれだけばあさんに罵り倒されたにもかかわらず、涙なんか浮かんできたりするんです。

嫁ぎ先でいじめにいじめられ、そしてあの超個性が誕生したのかもしれませんが、覚醒後のばあさんがまた酷い。幼少の私に注がれた愛情は半端ないと自負していますが、それと私に向けられた彼女の罵る才能の発揮は別問題です。

泣きました。こぶしを握って耐えました。唇をかみしめこらえました。いつかこのばあさんをギャフンと言わせてやる。私はその復讐心を胸に秘め、日々読書に励みました。

しかし、あのばあさんはどんどん新しい言葉を作って「13月」の私を罵倒してくる。そして成長するにつれ、それがだんだん可笑しくなって、笑えてきてしまい、復讐心を維持できないという状況になりました。

「この、ぽっぽっぽ」「真人(まびど)のフリして」「呑気太郎八」「青ふくべんに屁をひっかけたみたいな顔して」などなど。

「○○顔」シリーズは使いまわしが効くらしく、例えばデコポンについて調子に乗って話していると、「デコポンみたいな顔してがら」となるし、ばあさんが聞いたことがないような横文字、バカロレアだったら「バカロレアみたいな顔してがら」ってなります。

わけがわからないんだけど、とりあえず罵られていることだけはわかる。そんなやり取りが毎日茶の間で繰り広げられました。

超個性’s

ばあさんの友達で、いわゆる優しくて、穏やかで、ゆっくり話をする人はただの一人もいませんでした。そしてお茶を飲みに行き来するとき、私はなぜか同行させられていたので、それはそれはイジリにイジリ倒されました。

いつも縁側に味噌を作るために大豆を干していた「豆のおんちゃん」と「豆のおばちゃん」もまた口が悪い。一回もう悔しくて悔しくて、我慢しましたが涙がつーっと流れてきて、それでさらにいじられ、生まれて初めて殺意を覚えました。あれは年長さんの時だったと思います。

ただその連中の中で、唯一、私をいじろうとして、逆にいじられることになったおじさんがいます。いつも家に行くたびイチゴをくれる「イチゴのおばちゃん」の旦那さんです。彼は漁師で、大体午後も深い時間になてくると真っ赤な顔をしていました。

そのおんちゃんが、非常に大きな黒光りするかりんとうを私に差し出し、「これを何というかわかるか」と聞きました。私がまだ純粋な幼稚園生の頃だったと思います。かりんとうという言葉も知らなかったので、素直に「何て言うのか」と聞き返しました。

「これな、『どんぎりまぎ』って語んだぞ」

おんちゃんはニヤリと笑い、酒臭い息を吐きながら私に言いました。『Don Giri Magi(ドンギリマギ)』という言葉の響きが強烈で、私の頭の中でその音が無限ループしました。

『どんぎりまぎ』とは「お尻の穴が裂けてしまうくらい太いうんこ」を意味する三陸の方言だそうなのですが、説明されても子供の私にはその音にインパクトが強すぎて意味まで頭に入ってきませんでした。

どんぎりまぎのおんちゃん

その後、そのおんちゃんは私からみんなの前で『どんぎりまぎのおんちゃん』と言われ続けます。だんだんにそれが浸透し、私以外の子供たちからも『どんぎりまぎのおんちゃん』と言われるようになりました。そして最終的には大人たちも、彼のことを『ドンギリマギ』と呼ぶようになりました。

私は『ドンギリマギ』という言葉の意味はどうでもよくて、その響きに感動していました。その言葉を教えてくれたおんちゃんに感謝と尊敬の念を込めて『どんぎりまぎのおんちゃん』って呼び続けました。が、よくよく考えると、おんちゃんはみんなから「太いウンコのおんちゃん」って呼ばれていたということですよね。いつもちゃんと返事をしてくれたから、結果とても優しい人だったんだと思います。

おんちゃんが教えてくれた「どんぎりまぎ」という言葉が、認知され、浸透し、まるでずっと前からあったかのようになるのを見て、幼い私は興奮を覚えます。自分が使い始めたその言葉が広まって、普段使いされるようになるその過程に。

最後に

しかし、おんちゃんの葬式で、みんなが「どんぎりまぎ」を連呼しているのを見て、これは本当によかったのだろうかと、初めて不安に思いました。冷静になって考えてみると、私は私のばあさんと同世代の人をつかまえて、「尻の穴が裂けるほど太いウンコ」って呼んでいたのですからね。

とはいえ、満面の笑みをたたえた遺影のおんちゃんの前で皆がおんちゃんのことを「Don Giri Magi」「Don Giri Magi」って呼んでいるのは、快感でした。何十年も前に子供をからかおうと思って発した言葉がこんな風になるなんてね。軽はずみなことは言うもんではありません。ははは。おんちゃん、馬鹿だねぇ。

おんちゃんのおかげで、今も、自分が発した言葉をその言葉を知らなかった人たちが使うようになると超テンションが上がります。「マジ卍」です。例えば筑坂で2年前に私が始めた英語の課外授業「English Caravan」は公開授業をしたこともあって、校内外の人が知っています。思い立ったらそこが学び場というつもりで「Caravan」にしたんですよね。そんな言葉をもっともっと作っていけたら面白いなと思う次第です。

私が最終的に目指しているのは言語リーダーになることって自覚するようになったのも、おんちゃんが「ドンギリマギ」という言葉を教えてくれたからに他なりません。みなさんも丁度よく節をつけて「ドンギリマギ」と繰り返し唱えてみてください。不思議な気分になりますよ。

ただ、「太いウンコ」って言ってるだけですけどね…。