ジャンボ!みなさん、お久しぶりです。ラオスで私も考えた:田中慶太の場合 vol.1、2、熊谷先生が副団長を務めた内閣府国際青年育成交流事業で、ラオスを訪問したことについてエントリーを書かせていただきました。田中慶太と申します。
お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、冒頭のスワヒリ語の挨拶にあるように今回はケニアからのお届けです。私は昨年9月より交換留学生としてナイロビ大学で学んでおり、5ヶ月ほど経ちました。「ケニアに留学!?」なんて、思っている方もいるでしょう。今回は、私のユニークなケニア留学についてお話しさせていただきます。
ケニアに一体何があると言うのですか?
「ケニアに留学してきます!」
「ライオンでも狩りに行くの?笑」
これは、私が留学前にバイト先の店長と交わした会話です。みなさんはケニアと聞いて、どんなことを思い浮かべるでしょうか。マサイ族、ライオンキング、なんか暑そうなどなど、日本人の抱くイメージはこのように限られたものだと思います。
そもそも、「ケニアってどこ?」と思う方も多いかもしれません。それもそのはずです。物理的にも心理的にも離れたアフリカの一国、ケニアについて詳しく知っている方がいたらもうそれはただの物好きでしかありませんよね。
私もかつてそんな中の一人でしたが、今は現地での生活にも慣れ、ケニア流の生活を営んでおります。アフリカの中では発展している国とはいえ、毎日水のシャワーを浴び、洗濯も週に一回手洗いです。ケニアというと、アフリカというイメージから気温が高そうな印象があると思いますが、ナイロビの標高は1900m程度、年間を通して平均気温は20度ありません。過ごしやすい気候です。水シャワーを除いては…
ナイロビの普通の大学生として
さて、九月初めにケニアに渡航し、いよいよ留学生活のスタートです。ケニアの授業は1コマ3時間。先生が遅れてくることも、授業が延びることも珍しくありません。そんな日本とは違う授業環境を楽しみつつ、ケニアのスクールライフを送っていたのでした。
私が留学した時期はちょうど選挙の真っただ中。不正によって前代未聞の大統領選挙の再選が行われていました。そのため、情勢はいつも以上に不安定な状態でした。
大学周辺では頻繁にデモが行われ、警察の治安部隊から逃げるデモ隊を目の当たりにします。私もデモから逃げ、たまにその場に残っている催涙ガスの被害に遭ったりしました。顔の粘膜という粘膜がヒリヒリして、涙とくしゃみが止まらなかったのを覚えています。
この状況をみて、ナイロビ大の学生は見物しながらゲラゲラ私のことを笑っています。彼らにとっては、当たり前の光景のようです。このように、デモが頻発する中でも「一人のナイロビの大学生」として普通に学校に通う日々でした。しかし、その生活も突如として崩れていきました。
Welcome to Real Kenya!
九月も終わりかけのある日23時半頃、寮でシャワーを浴びていた時の事です。
「ピーーー、ピーーー」「キャーーー」「バーーーン」
突然、大きなホイッスル音とともに奇声と破壊音が聞こえてきます。すぐに気づきました、デモの始まりです。とにかく、隠れながらシャワーを早めに済ませ、自分の部屋に逃げ込みました。
その後、貴重品をまとめて安全な場所に避難です。避難している最中、遠くからは発砲音、ガラスの割れる音が聞こえてきます。そして、避難中の私を見ながら警備員が笑顔でこういうのでした。
「Welcome to real Kenya!」
後から大学に戻ると、窓は粉々に割られ、道端に銃弾や催涙弾の破片が落ちています。建物に火もつけられていたみたいで、一階部分が焦げた状態でした。治安悪化のため、翌日から学校が封鎖されたということは言うまでもありません。日本では信じられない状況です。来て早々、洗礼を浴びました。
最後に
日本人の感覚では想像できないことが起こるのが、ケニアでの生活だと思います。デモや催涙ガスを脅威を体験する留学なんて、聞いたことがありません。銃声と催涙ガスの音すら聞き分けられるようになってしまいました。
このように、今回は面白おかしく私が実際に体験した話を書きましたが、ケニアってこんなことがあるんだと、興味本位で楽しく読んでいただけたのなら幸いです。
留学して5ヶ月が経ちました。色々なことを見聞きし、経験する中で、自分の考えに変化が出てきていると感じます。次回は、その変化についてどのように感じ、どのように考えたのかについてお話ししようと思います。
では3日後にまたお会いしましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。