[Heroes] 日本文学者 ドナルド・キーンさん

この「Heroes」というシリーズは様々なフィールドで活躍する熊谷が出会った面白いオトナを紹介しています。これまで、ベトナムでレストランを経営する白井尋さん、京象嵌の若手職人の中嶋龍司さん、漢字文学者の故・白川静さんを取り上げました。

みなさん、こんにちは。熊谷優一です。9月に「共に考える“教育の未来”」と題された教育カンファレンスで新潟県柏崎市を訪れたときのことです。ドナルド・キーン・センター柏崎理事、吉田真理さんから招待いただき、センターを案内していただきました。

ドナルド・キーンから日本を学ぶ

ドナルド・キーンさんは日本文学者で、数々の著作を記されています。日本語に翻訳されているものも多いのですが、私が大学生の頃は彼の日本文学や日本文化に関して英語で書かれた本をよく読んでいました。

英語で日本文化を学ぶなんて滑稽に聞こえるかもしれませんが、私にとっては自分自身の文化を目標言語で学ぶことは一石二鳥だと思ったのです。それに、自分自身の文化を語れなければ、海外に出たときに私は誰にも興味を持ってもらえないと思っていました。

私は古文が好きでした。ロマンを感じていたんですよね。特に好きなのは伊勢物語ですが(この話を仲がいい国語の先生に話したら、都合のいい男と言われました)、人間的には徒然草が合っているとよく言われます。近松門左衛門の心中もの、そして東北出身ということもあり、松尾芭蕉が好きです。

そうするとドナルド・キーンはビンゴだったんです。正直、日本文学について日本語で書かれた本は難しすぎて……。

柏崎とドナルド・キーン

ドナルド・キーンさんは東日本大震災後に日本に帰化します。その際にニューヨークにあった自宅を処分しようとしたところ、文化的価値を見出したブルボンが支援して、その家をそっくりそのまま柏崎に持ってきたんだそうです。

なぜそこまで?ドナルド・キーンはいったい柏崎とどんな繋がりがあったというのでしょうか。センターのWebページには次のように説明されています。

思い起こせば柏崎市民と先生の出会いもまた、2007年7月に発生した中越沖地震に遡ります。震度6強の地震に見舞われた柏崎市民は絶望の淵で生きる希望を失いかけ、復興の険しさに立ちすくんでいたときでした。一つの文化活動が企画され、実現に向けて動き出していたのです。それは、先生の提案による古浄瑠璃「越後国・柏崎 弘知法印御伝記」の復活上演でした。
2年近くの準備期間を経て2009年6月、柏崎産業文化会館ホールで「人形浄瑠璃越後猿八座」の旗揚げ公演として上演されました。その公演は復興への道を懸命に歩む柏崎市民に夢を与え、明日への希望の灯となったのです。

ドナルド・キーン・センター柏崎 概要

古浄瑠璃「越後国・柏崎 弘知法印御伝記」という作品は、ドナルド・キーン先生の友人である鳥越文藏先生(早稲田大学名誉教授)が1962年に大英博物館で発見されました。300年ぶりに地元柏崎で復活上演に寄与したのがドナルド・キーンだったというわけなんです。

私が何よりもこのセンターでテンションが上がったのは、キーン先生の書斎です。どんな本をこの人は読んでいたのか、それを知ることができるんですよ。自分だったら恥ずかしくて、絶対他人に本棚を見られたくないけれど、憧れの学者の本棚を見ることができるのは、都合がいいのは十分承知で、ワクワクします。

私が読んだことがある本もたくさんありました。読んだことがない本は読んでおきたい。スマホ写真を撮ったりしているうちに、吉田真理さんから「もうそろそろカンファレンスの打ち合わせが始まりますよ」と急かされつつ、「あと5分」を何度か繰り返しました。

このひとすじにつながりて

ドナルド・キーンの自伝に、『このひとすじにつながりて』があります。

この本は言語を指導するものとして非常に興味深い考察が随所に見られます。彼がどのような経緯で日本文学を研究するに至ったのかも含めて、面白いです。絶版になっているかもしれませんので、図書館か古本で探してみてください。

タイトルは松尾芭蕉の「つひに無能無芸にして只此の一筋に繋る」という『笈の小文(おいのこぶみ)』の一節からとられています。最近もう一度読み直したのですが、ピーター・センゲらの『出現する未来』を読んだ後だったので、この一文に「U理論」を感じました。

確かに、振り返ってみると、その都度選択したというよりは、その他に選べる選択肢がなかったというか、それしか道はなかったというのが正しいかもなと思いました。みなさんはいかがですか?とすると、私たちに自由意志なんてなくて、すべてはプログラムされているのかも……なんて思ったりもします。以前、そんなことをちらっと書きましたね、そういえば。

この本の中に、コロンビア大学での恩師、角田柳作先生とのやり取りが描かれています。角田先生の授業を取った生徒がひとりしかおらず、そのひとりのために授業の準備をするのは迷惑になるかもしれないと辞退しようとしたドナルド・キーンにこのように言います。

「One man is enough(一人いれば十分です).」

最後に

今すぐ声に出したい英語ですね。かっちょいい。どんな声で言ったんでしょうね。角田先生という方は。きっと狙っていったんではなくて、本心で言ったんでしょう。

当時は第二次世界大戦が始まろうとしてた時です。アメリカでの反日感情を考えると教えたいと思っても、角田先生のところに生徒は集まってこなかったかもしれません。たったの一人でも、学びたいという生徒がいる。教育者として、教えられる喜びそのものを表している一言だと私は胸が熱くなりました。

教えたいとジリジリするくらいの情熱を現代の私たち教員は持っているでしょうか。

柏崎に足を運ばれた際は、ぜひドナルド・キーンセンターを訪れてみてください。