犬は吠えるがキャラバンは進む vol.8-1 ミライからマナブ

みなさんこんにちは。クマユウの教え子の一人で、武蔵野美術大学3年の大平敦尊です。本ブログ「チノメザメ~21世紀を学び君へ~」のイラストを担当しています。

今回は、6月頭に同級生や高校時代の友人に久しぶりに会い、そこで話す中で膨らんだ議題について考えたことをまとめました。この交流は、筑坂時代から続く知識の交流会のようなもので、僕は初めて参加しましたが、久しぶりに再会した友人たちから聞く他大学の学生生活や、日々の活動などの話はとても刺激的でした。

グラフィックレコーディングへの挑戦

今回はグラフィックレコーディングという手法を使いながら視覚的にわかりやすくまとめてみました。グラフィックレコーディングというのは会議中に、その内容を絵や図で記録し、議論を可視化する手法です。今回は会議中でのグラレコ(略)ではないですが、話の内容がわかりやすくなれば幸いです。

ミライからマナブ

今回の話の中心となったのは「人類はどの程度未来から学ぶことができるだろうか?」という議題です。この議題はクマユウが、日本語と英語の違いを過去や未来の時間軸と結びつけた考えを示した何気ない会話に発端します。

まず、両者を簡単に解釈します。英語は「I don’t think so.(私そうは思わない、)」というように文のはじめの辺りで結論を述べることから、時間のベクトルは現在を起点にその結論を導いた過去の過程に向かっています。

それに対して日本語は「私は~で~だから~だと思うので賛成/反対です」というように、話の途中で相手の顔色などを伺いながら話の結論が変わることがあります。このことから、言語のベクトルは現在を起点としながらも、紆余曲折を経た未来に向っています。

これらの話から、「未来から学ことは可能ではないか?」という話題になっていきました。「学ぶ対象=過去の知識」という考えを持っていたので、このトピックはとても新鮮に聞こえました。

私たちはまず、学習という行為について考察することにしました。例えば、暗記をする行為です。暗記というものは、昔に作られた物語や公式など過去の知識を記憶していく行為で、学習の基本です。そして、その本質は過去を遡って現在に活かす行為であり、未来の方向性とは真逆なものであると結論づきました。

クリエイティビティ(創造性)

未来から学ぶという行為は、どのようなものなのか。そんな中、みんなが行き着いた結論は、『クリエイティブな行為=未来から学んでいる』というものでした。構築主義的な考え方ですね。

創造する過程は、存在しないものを存在させる過程に発生する行為です。その過程では意識が未来のこれから存在するものの方向を向いています。美術大学での私の学びを振り返りました。

僕の所属している、武蔵野美術大学 空間演出デザイン学科の制作課題は、大体1ヶ月でコンセプト決めからデザイン・設計、制作をしてからの展示で作品が完成します。その過程では、過去と同じ作品が作られるわけではなく、様々なアイデアが日々目まぐるしく積み重なる形で常に新しい作品が生まれます。この流れこそ未来に学んでいるという新しさや難しさの体現であり、ミライにマナブ理論の着地点であると思います。

Knowledge and Creativity

そんな中、制作という枠組み内では、過去や現在のベクトルが存在することに気がつきました。それに該当するのは、過去の作品から何かを得ることや、自分の技術の振り返り、を行うプランニングでは過去的ベクトルが混在し、デザインや制作の中で未来的ベクトルが存在しているのでした。

更に、もうひとつの気づきが生まれました。それは創造性の本質です。デザインや制作のクリエイティブな行為は、コンセプト立てや知識の貯蓄から始まっているように、未来を生むには過去があってこそのことではないかという考えでした。

クリエイティブな行為は未来に向かっているという結論に異を唱えるわけではないですが、この主張に付け加えるとしたら、過去のベクトルが多く濃いものであるほど未来のベクトルも大きくなるのではないかということでした。すなわち、クリエイティブという行為が未来に向かって学習するという方向に進む半面、並行して過去に遡る知識や技術も間接的に関わっているのではないかということです。簡単に言うと、浅はかな知識では並の発想しか生まれないということです。

最後に

美術大学の学習は一か月の制作期間に過去的ベクトルと未来的ベクトルを混在させながら、どれだけクリエイティブな作品を作るのかという壁にぶち当たったので、「ミライからマナブ」という希望に満ち溢れたモチベーションとなる可能性の発見はいい意味でも悪い意味でも現実を知ることとなる経験でした。

美術は創造性を育てる科目です。我々は過去の学びながらも、着実に未来へ向かって進んでいます。創造する過程を経た産物は完成した途端に過去のものになりますが、次の創造性を刺激することに繋がります。

知識を学ぶという面で力の弱い芸術分野は一度教科という枠から外される危機もありました。しかし、美術作品を創造する過程は現在と未来を結ぶ学問分野であると思います。美術教師を目指す私は、クマユウが今なぜ国際バカロレアなのかに答えるで書いたように、子どもたちは「急速に変化し続けるグローバル社会において、これまで人類が経験したことがない新たな課題に直面」する時代を生きる上で、「創造的かつ革新的に解決するマインドを以って、自ら新しい方向性を生み出す」力が求められるなら、それを育てるのは、私は美術の役目だと思っています。今回の議論のトピックは私にとって学ぶことはどんな意味があるのかを振り返るきっかけになりました。

IBCカフェに参加された先生からの質問に熊谷が答えます。