犬は吠えるがキャラバンは進む vol.5 疑問を議論に

キャラバンは進む

先日、東京で熊谷先生と高校時代の同級生に再会しました。僕の他には稲富くんと浅見くん(ブログに登場経験あり)がいて、それぞれがそれぞれの生活を送る中で得たことなど、近況報告をしました。

そして他愛ない疑問や問いかけから、いつものように議論が始まります。大体は私たちの発言を聞いて、熊谷先生の「あのさぁ」っていうお決まりのフレーズが出たら、それが合図で、私たちは少しだけピリッとします。

「小さな疑問を議論に」ということは熊谷先生含め、僕らの中では高校時代からなじみ深いことです。こうした何気ない問いかけから、議論を拡げ、深めていったあの高校時代の過ごし方が僕ら自身のスキルアップになったことは明白です。

言い出すのは大概先生ですが、あとの議論は大体黙って聞いているだけ。普段先生と会う時は緊張するんですが、私たちも気が付けば真剣に考え始めるので、あんまり先生の存在も気にならなくなります。

さて、今回は僕が特に印象に残っている二つの議論を僕の意見中心でお伝えしようと思います。

私たちに心はあるのか

一つ目の疑問は「心はあるのか?」というものです。会話の最中で生まれた疑問なのでなぜその疑問が生じたのかは忘れてしまいましたが、こういうシンプルで、抽象的な質問がいつも議題になっています。

この疑問に対し僕は「ある」と答えました。あくまで仮説ではあるうえ、僕の極めて貧弱な知識量から出た結論ではありますが、心とは「感情に関係した身体における現象」なのではないかと考えました。僕らがイメージするような身体の器官としての存在ではなく、あくまでただの概念的な存在であるという考え方です。

悲しい時や怒った時に人間の身体には何らかの変化が出るでしょう。その反応が顕著に表れるのは心臓の部位ではないでしょうか。脈が落ち着いていたり激しかったりと、これらは我々の感情に大きく左右されています。そのため、僕らが「心」と聞いたときにその存在の位置として連想するのは胸の部分なのではないでしょうか。つまり心臓と心は非常に近い存在だが似て非なるもので、心臓は物理的な存在、心は心臓の活動に対する概念に過ぎないのでしょう。

ではこうした考え方はどのようにして生まれたのだろうと、僕はまた小さな疑問を持ちました。推測の域を出ませんが恐らく、医術や科学が進歩するはるか昔に生まれた考えなのではないか。自分たちの身体に起きている現象に対して少しでも理解を得ようとした結果、先人たちの結論はそこにたどり着いたのです。まあ、「わからない」ということは人間にとってかなり怖いことであるので、そうした起源があっても不思議ではないなと僕は思いました。

以上が「心はあるのか?」という問いかけに対する僕の答えです。個人的に気に入った推測なので支持してくれる人や証明してくれる人が現れたら幸いです。

信じるということ

もう一つ僕がとても興味深いと思った疑問は「信じるとは何か?」というものです。こんな疑問考え始めたら延々と議論が続きそうなものですが、案外僕は早く自分の考え方に対する結論を出すことができました。それは信じるとは「自分を信じる」行為に他ならないのだというものです。今度は少し短めにご説明させていただきます。

人を信じる、何かを信じる行為というものはそもそも可能なのかはさておいて、僕は何かを信じるときには根本として自分を信じています。例えば、現代のほとんどの人々は地球が丸いと信じています、もちろん僕もその一員です。

この時、人々は「地球は丸い」という話を信じる、「自分」を信じているのです。それは経験や何かしらの科学的根拠に基づいているのでしょうが、あくまで地球が丸いことを正しいと判断した「自分」は間違っていないだろうと考えていることにすぎません。そのため結果的に何かを信じることは、自分を信じていることだと考えるのです。

ではどういうときに自分を信じるのか、それは自分がある事象を論理的であると判断した時だと僕は考えます。これはあくまで僕が何かを信じるときの条件であって、中には違う人もいるでしょう。しかし僕は論理的な動物である人間にとってその行為は、一種の本能だと思えてなりません。信じるという行為はもしかしたら人間にとって生存本能なのかもしれませんね。

結論として、「信じる」とは総じて論理的に自分を肯定することではないかと僕は考えます。

最後に

長々と僕だけの意見を書いたのには訳があります。それは熊谷先生の教育を受けた自分のリアルを見てほしかったからです。

今回、一緒に議論した仲間の意見を僕が書いたところで、それはせいぜいよくても30%程の濃度のことしか伝えられないって思いました。僕が思ったことを僕自身がこうして伝えることが何よりリアリティーのあるもので、興味を持ってくれる人がいるだろうと思います。

「疑問を議論に」の精神は自分の成長において重要であると考えています。今回の議論で自分の知識の少なさを改めて実感しましたし、熊谷先生のガッツに負けられないなと心から思いました。先生は怖いです。先生は笑って相手にしてくれませんが、実際、何か凄くプレッシャーなんですよね、先生の前に立つと。

前にみんなで話したことがあります。熊谷先生の前に立つと、圧が凄くて痛い気持ちがするって。「圧を感じるのはそれこそ、圧を放っているって勝手に信じているだけだ」って先生は言うんですけどね。でもまぁ、こうした学びの精神を教えてくれる先生はなかなか出会える気がしないので、自分の成長のためにも熊谷先生のプレッシャーに負けず、勝負していこうと思います(笑)。

それではお付き合いいただきありがとうございました。次回の更新にご期待ください。ちょっと生まれ変わった酒井優輔をお見せできるかな?