13月とキジ子の一生

みなさん、こんにちは。熊谷優一です。この「13月」シリーズは3か月に1回位のペースで私と私のばあさんとの間で起こった悲喜こもごもを書いています。

「13月」とは、「おめでたいやつ、まぬけ」という意味で、私の失敗を罵るために、ばあさんが最も高頻度で私に用いたフレーズのひとつです。

今回は、ばあさんが子どもの頃に近所に住んでいたキジ子という名の少女の数奇な人生を紹介します。

事件は茶の間で起きているんだ

六畳の我が家の茶の間は、団らんの場には程遠い、謂わばばあさんの玉座でした。アカデミー賞を受賞した映画「ラストエンペラー」の西太后のごとく「ドギャン(方言?)」と構えたばあさんが鎮座する、それが幼心に覚えた茶の間という場所でした。

我が家の西太后の玉座の中心には掘り炬燵がありました。そこでばあさんは拾ってきたクルミや栗を剝いたり、ある時は私と半分こした丸ごとバナナの生クリームがついたナイフを舐め、過って刃を自らの唇に向け、唇からどくどく血を流したりするといった事件が起こる場所でもありました。

この夏もヘマを繰り返した「13月」の熊谷が祖母の思い出を語ります。

そんな茶の間には、テレビが一台ありました。一応カラーテレビでしたが、チャンネルを回すタイプのブラウン管のテレビです。確か、UHFとVHFのチャンネルを切り分けるつまみがあったように記憶しています。小童(こわっぱ)の私はテレビに近い場所に据えられ、ばあさんの言いなりにチャンネルを回す小間使いの役割を担わせられていました。

テレビは私の背中にあったため、私はテレビが見づらいんですよね。文句を言おうものなら、千倍罵られるので、私は黙ってばあさんに従いつつ、本を読んだりしていました。

ワニの餌に売られた少女

茶の間でばあさんから聞く話は奇想天外で無茶苦茶なものが多く、にわかに信じ難いものもありました。その中のひとつが、ばあさんが子どもの頃に近所に住んでいた「ワニの餌に売られたキジ子」という名の少女の話です。ばあさんは、顔色ひとつかえずにこう言いました。

「昔な、ばあちゃんの家の近所に、キジ子っていう女の子がいてな。ある日、ワニの餌に売られていったんだ……。あれはな、親が売ったんだな。親が」

ワニの餌に少女がある日、親に売られた!?

少女→ワニの餌?
親→キジ子→業者?

最初はあんまりにも現実的には共起しない単語たちが一文に収められているので、思わず吹き出してしまいましたが、私の頭は疑問でいっぱいになり、いつものように、無限ループに入ります。

ワニの餌が表しているもの

ワニの餌として子供が売り買いされていたばかりではなく、それを売り買いする業者がいるのかとか、いくらで売り買いされるのか、男の子で売られたという話はばあさんは聞いたことがないそうなので、なぜ女の子だけなのか、ワニの餌に少女を買う人はどこの人なのか、人を餌にしてまでワニをどうしようというのかとか……。そして思い当たります。

「ワニの餌」が表しているものは何だろうか?

私が子どもだったのは昭和50年代です。その頃はまだ人さらいにさらわれて、外国に売られていくから夕方まで子供が外で遊んでいてはいけないと大人たちから怒られる時代でした。山椒大夫という物語もありましたし、岩手県から宮城にかけて流れる北上川は人身売買の記録が残っている川でもありました。

東北の農村はとにかく貧しくて、かつては食い扶持減らしに女の子が女衒(ぜげん)に買われていったという話も大人たちからよく聞きました(小学生にそういう話をするのもどうかと思いましたが……)。ばあさんは純粋に「ワニの餌」にキジ子はなったと信じていたようですが、もしかしたら男の子は売られずに、女の子だけが売られたという話が多いことから、遊郭に売られていくことを「ワニの餌」と言ったのかもしれません。

最後に

キジ子の実家はキジ子が売られていった後に、建て替えられて立派になったとばあさんが言っていましたが、その後キジ子の妹弟たちは、自分達もキジ子のように「ワニの餌」に売られてはかなわないと全員家出し、行方知れずになり、キジ子の生家はやがて没落したそうです。

ばあさんが生まれたのは昭和6年。旧鹿折村(現気仙沼市)の山奥の集落です。9人兄弟の長女として妹弟たちの子守りをするため小学校にも通えなかったそうです。それでもばあさんは、背中に弟妹をおぶって、校舎の外から小学校の授業を聞いていたと言います。文字は書けませんでしたが、島崎藤村の初恋を耳で聞いて覚えたらしく、お支度をしながら「マダアゲソメシマエガミノ……」と諳んじて見せたのを今もはっきりと覚えています。

その時は思わず、私は自分の部屋に戻って泣きました。申し訳なくて、申し訳なくて、そしてありがたくて、ありがたくて、私はひとり声をあげて泣きました。ばあさんはどんなにか、学校で勉強したかったろうかと。

ばあさんは、字が書けなかったので、銀行に行くこともしませんでしたし、切符を買うことも一人できませんでした。公の席には「学がない自分は恥ずかしい」と言って絶対に出ませんでした。普段の強気なばあさんを知っているだけに、そんなの見ていて悲しいじゃないですか。

ばあさんが今この時代にうまれたら、どんな風に学んでいただろうかとよく考えます。ばあさんが国際バカロレアのプログラムを受けたら……きっと恐ろしいことになったに違いない。でも、怖いもの見たさで、ばあさんを生徒として教えてみたいという気持ちもあるにはあります。退職するまでに生まれ直してもらえないだろうか……。

あ……。何気に「よく考える」って書いてしまいましたが、もう私にとってばあさんは概念なんでしょうね。一向に死んでくれない。毎日、ばあさんが私のすぐそこにいるように思えます。あの邪智暴虐なディオニソスのようなばあさんが、未だに私の思考の中心にいるかと思うと、何だか悔しくてしょうがないんですけどね。

ばあさんが生きていたら、8月25日のイベントについてなんて言うだろう?「真人(マビド)の真似して!」ってやっぱり罵られるかもしれません。

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