「シークレットキャラバン」レポート:おいしさを科学する 前編

みなさん、こんにちは。熊谷優一です。先日、「オトナキャラバン in 大阪 vol.1」を開催したのですが、日程が合わないという方もいらっしゃって、では問い合わせをいただいた方、vol.1に参加された方だけにお声がけして、「シークレットキャラバン」を開きました。

私の前任校の教え子が5人参加しました。当ブログ(チノメザメ)でもおなじみのメンツです。今回は彼らの目を通して、かつて教わったクマユウが大阪の地でオトナを対象にどのような授業をしているのか、一参加者としてフィードバックしてくれます。

学ぶためのアプローチ

今回は「おいしさを科学する」というテーマでディスカッションしつつ、テーマの設定の仕方、議論の回し方、議論の内容の発信の仕方が体験できるようにデザインしました。

宿題は事前に以下のエントリーを読んで、美味しさを決定づけるものを3つ考えてきてもらうというものです。

食べ物のおいしさには限界があるという熊谷の主張に教え子たちが異論を唱えます。
食べ物のおいしさには限界があるという熊谷の主張に教え子たちが異論を唱えます。

この話題はもともと、昨年9月に市立札幌開成中等学校で行われた「第1回 min-naの探究marche」に一緒に参加したIB関係者と会食した際に、「食べ物の美味しさには限界点がある」というどーでもいい話題に端を発しています。

9月にDP認定を受けた市立札幌中等学校の公開授業の模様をお送りします。
9月にDP認定を受けた市立札幌中等学校の公開授業の模様をお送りします。
食の秋。熊谷がどうも食べ物のおいしさにピンときていないようなんです。

このトピックはジブンゴトになりやすいのか、随分長い間、国内外の読者のみなさんから感想が届きました。一見どうでもよくて、どういう結論に達しようと誰も傷つけないようなテーマこそスタートアップにはもってこい。

自分の考えを述べても、誰からも自分がジャッジされない、否定されないという環境を作るため、対話を通して自分のアイディアがどんどん洗練されていくプロセスを楽しむマインドを作るため、そして正しく振り返るスキルを身につけるために、導入の段階では学ぶためのアプローチを学習者自身が意識化することが大切です。

では、『美味しさを決定づけるもの』の議論を私の教え子たちの視点から振り返ってもらおうと思います。

浅見昌弘の場合1

今回のキャラバンで私が一緒のグループになった方は高校生の息子さんを持つ保護者、高校で理科を教えている先生、材木会社を営む社長さんでした。このように自分よりも数倍経験がある方ばかりでしたが、そこで自分の意見を堂々と述べることが出来ました。

自分自身が「成長した」という実感を得られた(その実感は欲しかったのですが、学校内では機会がほぼありません)ことがとても嬉しかったと同時に、もっと大人たちに働きかけられる力が必要だなと思いました。

熊谷先生は相変わらず参加者全員から放置されていました(笑)。でもそれでいいと思います。逆に先生に終わりって言われると「もっと時間くれや!」と正直イラッとします。もっと話したい、もっと考えたいとはしゃぐ生徒の時間管理をするのはとても大変です。その欲求を満たしつつ上手く次に繋げるためには何かしらの工夫が必要だと久しぶりに先生の授業を受けていて感じました。

浅見昌弘の場合2

大人たちに意外と好評だったので紹介します。僕は美味しさを構成する要素の中に「罪悪感」を入れました。例えばダイエットをしている時に食べちゃダメと思いつつ食べたシュークリームは普段より数倍美味しくなると思います。別の例で言えば、深夜に食べるポテチは「悪魔的な美味しさ」です。

実はキャラバンの前日に熊谷先生とイスラム教の断食について話しました。イスラム教ではある月(今年は5月)になると日が昇っている間は飲食してはいけません。断食ですね(断食の意味は別にありますが今回は省略)。その代わり夜になると毎日パーティのように暴飲暴食をするそうです。制限がとかれた瞬間、またその制限を解いてしまったとき私たちは快楽を求め理性的な行動をすることが出来ません。

ダイエット中や深夜の飲食は自らの意思で制限をかけたものなので、破ったとしても問題はありません。しかし、僕達は自分以外の誰かが決めたルールに従って生きています(と信じています)。それを破ることでしか快楽を得ることができない人がいたとしたら、無理やり法律、ルールで縛りつけることはどうなのかと思います。もちろん誰かが被害を受けるならばそれは絶対に避けなければなりませんが、それを受容できない社会側も罰を与える以外の特別な措置を取るべきなのではないかと思います。

中休み

参加したから、こんな感想をいただきました。

先日はシークレットキャラバンに参加させていただきありがとうございました。美味しさの三要素を考えるという今まで考えたことの無いことを考え、非常に頭を使った有意義な会でした。個人的には浅見さんが挙げた「罪悪感」に非常に共感しました。深夜のカップラーメン最高です。

どこかにユーモアを発揮できるテーマってクリエイティブだなといつも感じます。「罪悪感」というスパイスはどうやら「共有された知識」のようなんですよね。発表を通して、そういう「そうそう!」という声が出てきたときは、もう集団としては自分も言いたくて、聞いてほしくて、聞きたくてって対話の準備が完了しています。

さて、次回ももう少し、「シークレットキャラバン」を振り返りたいと思います。