[Heros] 国語学者 白川静さん

スポンサーリンク




みなさん、こんにちは。熊谷優一です。大阪市立水都国際中学校高等学校という国際バカロレア・ディプロマプログラムを実施する予定の公立校の開設準備をしています。

さて、この「Heroes」というシリーズは様々なフィールドで活躍する熊谷が出会った面白いオトナを紹介しています。第一回はベトナムでレストランを経営する白井尋さん、第二回は京象嵌の若手職人の中嶋龍司さんでした。

ベトナムで出会った二人の教育者との対話を通して熊谷が自らの教育観を見つめ直しました。
京象嵌を知ったのはシンガポールに向かう機内。早速、京都嵐山に職人さんを訪ねました。

中嶋さんに作っていただいた唐草模様のバングルが先日届きました。わざわざ電話をいただき、仕上がりを確かめるその気遣い。ブログをご覧になって、お店を訪ねた方もいらしたと聞きました。ありがとうございます。京象嵌がもっともっと認知されるといいなと思っています。

実際に出来上がったのがこちらです。値段は税抜きで4万円でした。

世界で一番短い呪いの言葉

あれは、『陰陽師』を読んでいた時でした。安部晴明がこの世の中で最も短い呪いの言葉は名前だと言ったのです。ちょうど同じころに白川静の『漢字百話』を読みました。

そこには「呪」という漢字の成り立ちが説明されていました。もともと、「呪」は「祝」という漢字と同類の意味を持っていたものが、後に「詛」という漢字と結びついて「呪詛」という使われ方をして、「詛」の意味が「呪」に転化して、今の意味になったというのです。

で、「呪」も「祝」も膝まづいて祈りを捧げているところを描いた漢字なのですが、「呪」は口に出して祈ること、「祝」は心の中で祈ることという方法論の異なりだということでした。

『漢字百話』が描く漢字の世界観はもうロマンチックで、身震いしたのを覚えています。そして一つ一つの漢字の成立には古代の人々の信仰が深くかかわっていることを知りました。そこから私たちの名前で使われている漢字の意味を紐解くと、私たちの人生には、安部晴明が言うように、呪いがかけられていると解釈ができなくもないと思ったのです。

名前カウンセリング

漢字には宗教的な意味が込めらている、そして私たちの名前は漢字で記されていることから、私たちの名前が持つ漢字の成り立ちを解釈できれば、今生のテーマが見えてくるのではないかと、勝手に解釈しました。以来、私は漢和辞典が手離せません。

例えば、私の名前ですね。「優」の字を見てみると、お面をつけて、腰に房飾りをして踊っている姿が右側に描かれています。古代、宗教行事で歌ったり、踊ったりする人を「優(わざおき)」と呼んだそうです。つまり、パフォーマーですよね。今でも俳優という言葉に名残があります。

私が今やっていること、つまり先生として生徒の前で授業をすること、人前で話をすること、これズバリ「優」の字が表すことを私は実践している!私の人生は私の名前をもって、呪いにかかっています。

とかっていうことをですね、よくやるんです。そして、それが結構、的を得ていると評判になったことがありました。みなさんも、ご自分の名前に用いられている漢字を漢和辞典で調べてみてみてください。もしかしたら、今まで知覚していない自分と人生が見てくるかもしれません。

70歳を過ぎて始まる人生

白川静は70歳を超えて、3冊の「字統」「字訓」「字通」という3冊の漢字字典を出版しました。70歳を過ぎてようやくやりたいことができるようになったと数々のインタビューで語っています。

70歳かぁ。そこを人生の始まりって思っていなかったというか……。なんで年齢で始まるも、終わるも考えていたんだろう……。いくつでも始まれるし、逆に、年齢を理由に始めないと判断するのは何でなんだっけ……。

白川静の本を読みたびに、「あれ?」って思い返すことが多いんですよね。疑問に思わなかったのは何でだろうって。もしかして知らず知らずのうちに、自分自身のではなく、誰かの考えに従っているだけなんじゃないかって、一旦立ち止まる癖がついてしまいました。みんなから、面倒くさいってよく言われるんですが……。

加齢について、私の考えが変わったのは白川静という人を知ってからです。年を重ねてこそ豊かになることがありうるんだ。表面的に失うことを嘆くよりも、内面的に獲得することに喜びを感じる人生を送りたいなって思うようになりました。

そして、彼の人生の半分も生きていない私は、もしかして何も始まっていないのかもしれないって今、思っています。

最後に

彼は2006年に96歳で亡くなりました。著作が多いので、まだ私は白川静の作品を通して、彼の世界と言葉に触れ続けています。私も70歳を過ぎて、友人たちとホルモンを食べながら、ワイのワイのやりつつ、自分がやりたいことを貫徹できるくらい、今ちゃんと勉強して備えておかないとなって思っています。

さて、次回から3回に渡って、私の教え子が大学2年生になった現在の学びについて書いてくれます。白川静の4分の1も生きていない彼らは悩みながらもそれぞれの生きる道を模索しています。

話すことは自分の考えを自分に聞かせることです。そして、書くことは自分が思っていることを整理し、自分に読ませることに繋がります。立派なことでなくていいんです。誰かと話して、誰かに書くことを通して自分と向き合う。

その過程にたくさんの気づきが待っています。彼らにはどんな気づきがあったのでしょうか。ぜひ、目を通していただければと思います。本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

スポンサーリンク




フォローする