今からIBを始める君へ:学びを創造するのは僕自身だ! 中篇

みなさん、こんにちは。水都国際高校2年でIBDP1年目の山下晄生です。前回は僕がIBを志した理由について書きました。今回は、IBコースに進むために参加しなければならないプレIBセッションについて書きたいと思います。

第一回のセッションは森鴎外の「高瀬舟」という作品を熟読することが事前課題として出されました。高瀬舟は青空文庫で読むことができます。みなさんも、私と一緒に授業を受けているつもりで一度読んでみてください。

今だから言えますが、僕はこの事前課題のことを完全に忘れ、内容を全く知らない状態でセッションに参加してしまったのです。これがまず第一の大失敗でした。

<僕たちの失敗>

このセッションの担当はよりによって(!)熊谷先生でした。先生はセッションを全て英語で進め、僕たち参加者も英語で議論することを予告なしに求められました。日本語で書かれた作品を英語で議論するなんて想像もしていなかったので、とても驚きました。

でも、英語と日本語によるデュアルランゲージでディプロマプログラムを受講するのであれば、日本語で授業を受けていても、テキストは英語のこともありますし、日本語と英語の両方に堪能であることが求められるため、熊谷先生はそのマインドを植え付けるためにあえてそうしたんだと思います(きっと)。事実、このセッションのあとも熊谷先生は英語と日本語を混ぜて課題を出したり、授業をしたりしました。そしてそれは今もTOKの授業でそうしています。

さて、セッションに戻りましょう。熊谷先生は僕たちに高瀬舟の主人公、喜助のペルソナを特定することを求めました。セッションは、まず喜助についてファクトチェックします。そして性格を自分なりに解釈し、その解釈の根拠を高瀬舟の中から示すという流れでした。

英語でどんどん進行させる中、「全然英単語が出てこない!」「そもそもペルソナって何?」「登場人物の分析ってどうやるんだ?」といったように僕は分からないことだらけでその場から逃げ出したくなりました。せめて高瀬舟をちゃんと読んでから参加すればよかったと心底後悔しました。

そんな自分とは対照的に、セッションでは「喜助はサイコパスである」といったような鋭い分析を行っている生徒もいて、自分と周りの生徒との読解力の差を感じました。このセッションを通して、僕は自分の愚かさや詰めの甘さ、英語力と読解力のなさを痛感しました。

<私に擬して>

散々な結果に終わった一回目のセッションでしたが、その悔しさをセッション後に出された課題に全てぶつけ、納得のいくものを書こうと決心しました。その時出されたのは、『喜助が事件前日、事件当日、事件翌日の日記を書くとしたら、どのような内容になるか。喜助になったつもりで書いた3日間の日記(宿題)を英語で書きなさい。』というものでした。

そして、第二回のセッションでは僕たちが喜助について解釈した内容を振り返ることから始まりました。どう振り返ったかって?またまた、僕は裏をかかれます。

僕たちは『知の構築とその呪縛(大森荘蔵著、ちくま学芸文庫)』の第2章「略画的世界観」を読み、僕たちが解釈した喜助の性格は本当に喜助そのものを物語から解釈したのか、何か他の要因の影響を受けて解釈したのかを議論しました。

何かの物語を別の本を読んで解釈し直すなんて、初めてだったので、最初熊谷先生から指示されたときは、何を言われているのかさっぱり意味がわかりませんでした。しかも、大森荘蔵の文章がまぁ難しい。それでも何とか読み進めると、「略画的世界観」では「私に擬して」という表現があり、他者を理解するためには自分自身の内面にあるものを通して理解を試みるというふうに書いてありました。

なるほど、高瀬舟では喜助はあんまり話していません。むしろ、喜助を護送する同心、庄兵衛を通して描写されているのでした。もしかしたら、僕の喜助の解釈は庄兵衛による喜助の解釈に影響を受けたのではと思えてきました。

TOKの重要概念のひとつに「解釈」があります。高瀬舟の主人公、喜助がどのような人物であるかを解釈する過程で、「そのように解釈したあなたはどんなことを知っている人だからか」と熊谷先生は聞きます。人によって解釈が異なるのは、それぞれが異なる経験をし、知識を持っているからなのか……。僕は僕自身がどういう人なんだろうと、このセッションをきっかけに何かを学ぶときの自分自身の反応から気にするようになりました。

<学びの成果>

さて、2回のセッションを終え、さらに日本語のエッセイが課題として出されました。お題は、「知識を生成するためには、観察したことをそのまま書き留めよという主張があるが、解釈することなしにありのままを観察し、書き留めることは可能なのか」というお題に対して自分の考えを1000字以内で述べるというものでした。

このエッセイで難しかった点は、具体例の選択と効果的な使用です。僕は二つの具体例を使用し、片方は自分でもある程度納得できたものの、もう一つの事例では自分の主張とのつながりが見えにくく、自分の主張を裏付けられませんでした。

今思うと、セッションで取り組んだ喜助の性格を解釈したときにその根拠を高瀬舟の中から見つけ出すというのは、このエッセイを書くときに、主張に対して関連した事例で裏付けるということの練習だったんですね、きっと。今知りました!

この「いかに自分の主張を支える事例を効果的に挙げられるか」ということはすべての教科のエッセイに通じる重要なポイントだと思います。このようにエッセイを書く上で大切なことを知れたのもプレセッションでの学びの成果の一つです。

ここで僕が意識したのは、「誰が読んでも自分の主張が理解できるように文章を書く」ということです。文章を書いている時は常に一つ一つの文や文章全体を客観的に見て確認しました。書いているときは、主張とそれを支える具体例が、自分の中ではそれらが明確に繋がっているように感じていたのですが、文と文の間で飛躍があったり、具体例やキーワードの重要な説明がなかったりします。

<学びを創造するのは僕自身だ!>

2回にわたるこのプレセッションでは僕は大きな失敗を経験しました。でも、一度失敗したことで、次は周りに負けたくないという思いが芽生え、それ以降はセッションも課題も全力でこなしました。難しい内容のセッションや課題ばかりでしたが、確実に自分の思考力や文章力、タイムマネジメントスキルが伸びていると実感しました。

そして、12月ごろに自分の進むコースの最終決定をしなくてはならなかったのですが、僕は悩みに悩んだ結果IBコースを選択しました。悩んだ理由は、やはり授業が難しい上に課題が多く、IBコースに入って自分がついていけるか不安だったからです。

でも、最終的にIBを選んだのはそれらの難しい授業や課題が自分を成長させてくれて、それらの成長が必ず自分の将来に役立つと思ったからです。そして、学ぶことを創っていくのは他の誰でもない僕自身でありたいと思いました。IBDPの学びは確かに厳しいのですが、それが実現できると思います。

<まだまだ続く>

でも、そう簡単に物事は進まないのです。2月に受けたプレIBセッションで僕をIBの沼にはまらせる授業がありました。

次回は芥川龍之介の「河童」をとり上げ、決定的にIBにハマる決定打となったJapanese AのプレIBセッションについて書きたいと思います。

今日も読んでいただきありがとうございました。