みなさん、こんにちは。熊谷優一です。このブログを始めて1年半。読み返してみると、結構マジメなことを書いているなと赤面することがあります。
地元、気仙沼では「おだづもっこ(ふざけてばかりいる人)」と理解されている私。結構オフィシャルな会合でも、先輩たちから「こいつくらいバカな奴は見たことがない」と結構な地位にいる方々に対して紹介されることがあります。「そっくりそのままお返しします」と言いたい気持ちを我慢して、「だから面倒を見てあげてください」と頭を下げてくれる彼らに結局のところ、甘えているんですがね…。
さて、この「13月」シリーズでは、3か月に1回位のペースで私のばあさんの話を書いています。「13月」とは、私がばあさんから最も罵られたフレーズのひとつで、簡単に言ってしまえば、「おめでたいやつ、まぬけ」ということです。詳しくはこちらのエントリーをご覧下さい。
海とUSJ
先日、ばあさんの法事で久しぶりに気仙沼にゆっくり帰省した際に、当ブログにも度々登場する阿部富子先生ご一家と石巻にある網地島にクルーズしたんですね。結構波が立っていて、船に乗っている間、「ああ、この感じ懐かしいな」と思いました。
昔、よく「豆のおんちゃん」と「豆のおばちゃん」の小さい船に乗せてもらって、漁とか養殖の収穫に同行したことがあります。おんちゃんとおばちゃんは以下のエントリーで紹介したばあさんの一味で、ばあさんに負けず劣らず口が悪い、ほとんど思い出すことがないじいさんの妹夫妻です。
そんな2人がボートレースで使われるような小さな船で、猛スピードを出して私を怖がらせようとします。波から波へと飛ぶんですよ。何メートルも。「ンッバーン、ンッバーン」って。その時感じる内臓が浮く感じはまるでUSJのアトラクション。波が穏やかな時はキャッキャ言っていたと思いますが、海が少々荒れているときは、船べりに必死にしがみついて、海に投げ出されないように泣きべそをかきました。
海と舟の女王
そうそう。韓国留学中に三陸の漁師たちの話し言葉を研究した韓国人教授の論文を読んだことがあります。故郷の言葉でありながら、私にとっては初めて見聞きするものばかり。早速、ばあさんに電話して聞いてみました。
「これ、レッゴーしていいべが?」とか、「さぁ、行ぐべ。ゴーヘイだ」、「あんまり、天気もよぐねえがら、帰っか。ゴスタンだな。」という例文をばあさんに伝えると、ばあさんは嫁ぎ先で覚えたその漁師言葉を昔を懐かしむように、新たにたくさんの例文を作って私に解説してくれました。
どうやら、「レッゴー」はこの場合、「捨てる」という意味の「Let go」に、「ゴーヘイ」は「前進する」ことを意味する「Go ahead」に由来し、「ゴスタン」は「バックする」を意味する「Go astern」が訛ったものだそうなのです。
この話を昭和20~30年代生まれの人たちにも聞いてみたのですが、漁業に関係してれば、「もう使わないな」と言いつつも、みんな知っていました。この話を平成21年に連載していた河北新報気仙沼地域版『リアスの風』の「直言」というコラムで書いたところ、漁業関係者から結構反応があって、昔はもっと多様な英語に由来した漁師言葉が用いられていたという話を聞きました。
今から何十年も前に、気仙沼の人たちは方言の中で英語を使っていたということになりますよね。それが英語だということを知らないで、どうやってその意味を理解したのでしょうか。というか、彼らはいつ、どこでそれらの英語表現に接触し、普段用いる言葉になったのか。日本語にも同等表現があったでしょうに、その代わりに英語表現をなぜ選択したのでしょうか。
くぅ~!面白い!ばあさんの人のことを「罵る」という点における表現の豊かさは、こういった普段の言語活動の豊かさに支えられていたのかもしれません。
河童と人さらい
幼少の頃、夏休みの遊び場と言えば、海でした。毎日朝泳ぎに行って、昼ご飯を食べに戻って、そしてまた泳ぎに行って、疲れて帰ってきて、昼寝する。それが毎日の日課でした。で、お盆が近くなると、よくこんなことを言われたものです。
「河童に足を引っ張られて溺れるから、海には遊びに行くな」
これは、夕方になると「人さらいが来るから遊びに行くな」と同様の手法です。当時は、空が朱くなる頃に、籠のようなもの(天蓋というのだそうです)を被り、尺八みたいな笛を吹きながら歩いているお坊さんっぽい怪しげな人が、家の前の道を毎日通っていたので、その人が人さらいだと信じ込んだ私は、安寿と厨子王みたくなるのが怖くて、ばあさんの言う通りにしていました。
そういったこともあって、「河童に足を引っ張られる」のは、「さもありなん」とお盆が近くなると子供たちは海にはだんだん行かなくなったのを覚えています。しかも、河童という想像上の生き物は、「まんが日本むかし話」でも結構取り上げられていましたし、東北の子供たちの間では会話に上る頻度も高く、大人から聞かせられる河童の逸話も中には怖いものもありましたからね。信じるだけの環境は整っていたと思います。
恐らくは、潮の流れが変わるんだと思うんです。引き波が強くなるというか。だから海に引き込まれるからと、「河童に足を引っ張られる」という表現を使ったのだと思います。海に河童がいるのかという点にはいまだに引っかかるのですが…。
最後に
ばあさんの一味はほどんどあの世に行ってしまって、私が大人になったら復讐すると固く決意していたにもかかわらず、もはや直接本人たちに果たすことができません。だから、これからもこのブログで書いていこうと思います。あの人たちの悪事を!
って親戚一同で法事のあとご飯を食べているときに言ったら、「お前もひどかったけどね」とばあさん一味を擁護するようなことを言うんですよ。まるで一味が私に対して悪事を働くのは私が原因であるかのような口ぶり。
これは納得が行きません。今後3か月に1回のペースで一味の悪事を暴いていきますので、みなさんに判断していただきたい。ネタは揃っています。次は10月にシリーズ「13月」でお会いしましょう。
でも、忘れないでくださいね。このブログは教育について考えるのがテーマです。暑い日が続いています。どうぞお体をご自愛してお過ごしください。