国際バカロレアを斬る!

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みなさん、こんにちは。熊谷優一です。今日は国際バカロレア(IB)に対する私の本心を書きたいと思っています。その前に、このことについて触れさせてください。

前回の酒井君のエントリーはご覧になりましたか?彼は高校時代、自分は伸び悩んでいると思い込んでいた時期がありました。誰のどんな肯定的なフィードバックも彼の心には届きませんでした。でも、ついに彼は自らの成功体験を経て、自分自身に対して肯定的な評価を覚悟をもって下す勇気を得ました。詳しくは以下からご覧下さい。

熊谷先生の教え子酒井優輔君が、何やら賞を受賞したそうです。

彼の自分に対する考えの変化こそ、国際バカロレアという教育プログラムを通して、学習者が身に着けられる最大の能力だと考えています。つまり、知識、技能、人脈、関係性、考え方など、「自分が持ちうるすべてを駆使して、今現在の仮の結論を下す勇気」です。

英語ができる最も暇だった私

私は別にIBの熱狂的な支持者ではありません。まして熱心な信者でもありません。コーディネーターに指名される前は特に興味もありませんでした。今もIBが最も優れている教育プログラムだとは微塵も思っていません。

そんな私がIBに携わるきっかけは、その時学校で英語ができる最も暇な人が私だったからに他なりません。SGHに指定されたばかりで、他の先生たちは本当に忙しかったわけですよ。で、たまたま授業がなかった日に筑波大で行われたIBに関する講演を聞きに行かされて(!)、そのことについて報告させられた(!)のがすべての始まりでした。

当時、国際バカロレアのプログラムは日本語でも受講可能になったと発表があったので、様々な資料や手続きもすべて日本語で業務が行えるとみんな思っていました。私は講演の報告をしてお役御免とタカをくくっていたのですが、行きがかり上、調べてみると、日本語でできることはひとつもないことがわかりました。

「じゃあ」っていうので、私が担当になった次第です。そんなIBの対する知識もモティベーションもゼロの私がマカオで行われたコーディネーター向けのワークショップに行ったもんだから、さあ大変。その時の顛末は以下のエントリーをご覧ください。みなさん、自信が持てますよ!

参加したEdmodoCon Japan 2017について

こんな風に学びたかった

IBは学校にとって本当にお金がかかるヨーロッパ由来の教育プログラムです。(このことについては、ちょっと言いたいことがあるので別の機会に詳しく書きたいと思います)認定されるまでも相当なお金がかかるのに、認定されてからも学校は毎年認定料を支払い続けます。公立高校が長かった私は、いかにお金をかけないで学習機会を提供するかが大きなテーマだったので、なかなかストンと納得できませんでした。

しかし、ある時、私は感動を覚えます。IB認定校の授業を参観させてもらっときでした。日本のインターナショナル・スクールだったと思います。

授業は第二次世界大戦を題材に生徒がそれぞれの立場からプレゼンテーションをし、その後ディスカッションをするというスタイルで行われていました。プレゼンに対する質疑応答に対しても、ディスカッションに対しても、生徒のモティベーションは様々です。全員が積極的に発言したり、メモを取ったりしていたわけでもありませんでした。

しかし、授業の後半、ある生徒が手を挙げて、「昭和天皇の戦争責任について話し合いたいんだけど、どう思う?」と発言し、クラスの雰囲気はガラッと変わりました。先生は彼に説明を求めます。何が気になっているのか。そのことについてどんな情報を持っているか。どんな考えを持っているか。

そうこうしているうちに他の生徒が加勢し、ついに授業は生徒たちが学びたいことに焦点が当てられ、先生はそのことを学習する計画を立て、生徒たちと合意し、今後の授業について提案された様々な方法を検討していきます。そして、いくつかのグループに分かれて、「昭和天皇の戦争責任」について異なる立場から検討することになりました。

私はその時思い出していました。昔、先生に「オレ達が知りたいことを教えてもらうわけにはいかないか」と聞いて滅茶苦茶怒られたことを。その後、私はTOKやLanguage Bなど実際のIBの科目のworkshopを受け、IBの学びと指導のアプローチを学びました。そしてこのプログラムにどんどん興味を強めていった私は、「こんな風に勉強したかったんだ」とIBにスリルを感じるようになりました。

多様な教育プログラムの1つとしてのIB

国際バカロレアのプログラムではあらゆる多様性が強調されています。人それぞれに正しさがあること、異なる文化的背景・言語・考え方、そして学び方があることを認めています。

先生が黒板の前に立ち、主に教科書に書かれている情報を生徒集団に伝達する「チョーク&トーク」といったスタイルが日本の伝統的な授業風景ですよね。この方法は情報量の多さと伝達時間の速さという点では優れていますが、学習者が自ら考えるという点が軽視されていると昨今批判を受けています。

でも、ですよ。私は好きではありませんが、そういった学び方がいいっていう人もいると思うんです。何もIBの学び方だけが正しいというわけではありますまい。日本の伝統的な学習方法にも長所についてクリティカルに捉えてみたら、案外よさが見えてくるかもしれません。

学ぶ選択肢としてIBがあって、日本の伝統的な方法があって、そのほかの方法があって、それを学習者が自ら選べるようになることが日本の公教育にIBを導入するメリットのひとつではないでしょうか。

最後に

様々な学び方があります。そのひとつひとつが尊いはずです。IBがこの世の中で1番優れた教育プログラムではありません。日本の伝統的な教育が劣っているわけではありません。すべてに意味があって、いいところがあって、そうでないところももちろんあります。

でも、学び方を誰かに強制されたり、押し付けられたりするのではなく、学習者自ら選択できるようになればいいと願っています。もし私が学習者だったら、間違いなくIBを選びます。それは私が学びたい方法をIBの教育プログラムが提供してくれるからです。

私たち教員もクリティカル・マインドをもって、ひとつひとつの学びを検証する必要があります。これまで様々な国内外のIB校を視察しましたが、IBを教えているからといって学習者中心の多様な答えを奨励した探求型の授業を行っている先生ばかりではありませんでした。IBを教える教えないにかかわらず、教員として生徒とどう向き合うかという問いに私たちは答えを持つ必要があります。

私が教員になったのが今から21年前、その頃は全くお粗末な授業しかできませんでした。今は目の前の生徒を見ながら、その時々に応じた展開をアレンジできるようになりました。IBを知ったことも大きかったと思います。まずは知ることから。そして全国の先生方、自分に合ったやり方を選んでみてはいかがでしょう。

次回は私が筑坂に赴任する前に定時制高校で教えた生徒が自らの学びの選択ついて書いてくれます。学びは選択する時代です。

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